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㈱モデナに古くから生息している堕落の標本です。 今や完全に個人的な記録とその記述の墓場になっていますが テキトーに流し見していただければ幸いです。 「モデなんです」の管理人と、よく勘違いされますが、アレは私ではありませんので、あしからず。
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4月10日

「去年の4月から思い起こせば色々あった一年だったね」

と、桜を見ながら一年を振り返りを発してる人がいた。

なんだか、自分の心中にも響きました
会話の相手は私ではないけれど
自分に言われてるような気すらしました

天気予報によると
桜は明日の雨で、ほとんど散るらしいです。
残念ですな。

ところで

よく耳にするフレーズに「止まない雨は無い」ってのがあるけど
人生に降り注ぐ雨は、いつだって予報が無いのでズブ濡れにされてしまいます。
予測できないと不便ですな。

その点、桜は良いですね
春になれば必ず咲く
だから、待ちかまえられる。

来年もあたりまえの様に咲きます、でも、今と昔の自分が違うように
同じ木から咲く花は、決してあの時の花では無いです
見るたびに、そんな事を考える。

そう思うとき
「あの時、こうしていれば・・」
「あの日に、戻れれば・・」
そんな気持ちばかりが、大きくのしかかってしまいます

それは切ないです。
思い出したり、なつかしんでしまったり
理由もなく、そんな気持ちにさせられます。

花を眺める人々も、色々と思うところがあるのでしょうか?

そんな想いを、そんな気持ちをかき消す為に
散り際まで、飲んで、食べて、騒いで過ごすのかな?
・・・感じ方は、人それぞれですけどね。


昔の文人の作品に、桜の木の下にまつわるお話があります。

有名なのは、梶井基次郎の言う「屍体」が埋まっている話ですが
なんだか、読んでると憎悪が怖くて悲しくて、少し憂鬱です。
坂口安吾の言う「虚空」の方が、個人的に話としては好きです。
こちらの方が残酷ですが、もの悲しさに耽美さが見えます。

私にとって、桜の木の下は、何処にも行く事ができない
「追憶」をしまう処で、しまい込んだ分だけ、咲いた時に溢れだします。
それがまた皮肉な事に、言葉にできない美しさで困ります。

眺めていると答えの出せない問題に右往左往します。
そして、また答えが出せないままに、はらはらと散っていきます。
まだ散らないでよ、と願う気持ちは、完全に踏みにじります。

「なんだ、結局は残酷なアプローチになるんだなw」

そう考えて、もっと綺麗なモノを考えているつもりだった分、
なんだか可笑しくなって笑ってしまった。

では、また。
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