㈱モデナに古くから生息している堕落の標本です。
今や完全に個人的な記録とその記述の墓場になっていますが
テキトーに流し見していただければ幸いです。
「モデなんです」の管理人と、よく勘違いされますが、アレは私ではありませんので、あしからず。

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和歌山を出れないプロレタリアンな私を
一瞬で海の向こうに連れて行ってくれる夢の現代技術。
それがインターネット!グローバリゼーションの象徴!
これがあれば、世界中の情報を即座に知る事ができる
これはまさに、ある意味世界を手の中に収めたと言えよう。
とはいえ、私の薄志の薄学で培った語学力では、
ネットにおける7つの海を存分に股にかける事は到底できない。
このままでは、結局日本からは出れない一般的な中年会社員のままである。
しかし、今は違いまして。
ボタン一つで何処の言語も翻訳できる時代となりました。
しかし、さっそく翻訳してみたが、どうも日本語に翻訳すると、
イマイチな翻訳をする、いっそのこと英語に翻訳する方が、
まだ理解できたりもした、仕方なしに英訳してたどたどしく読み漁った。
そうやって、英語翻訳しまくってたワケですよ。
するとです。
「これは日本語のページです。
Googleツールバーを使用して翻訳しますか?
日本語ではないですか?」
って、日本語のページでバーがいちいち出てくる。
日本語でいいんだよぉぉぉぉぉぉぉぉ~~~っ!!
わしゃ、日本人じゃぁあ、ボケェッ!
と、言いたくなるのをぐっと抑え、
冷静かつ紳士的にバーを閉じるのであるが、
5日経っても無くならない。
これは、さすがに鬱陶しい。
梅雨の湿気も相まって、いっそう鬱陶しくなってきた。
何より、隣の席の同僚が、昨夜、よっぽどいい事があったらしく、
嬉しそうに呆けているのが鬱陶しい。
彼のトレードマークは眼鏡であり、私の周囲の眼鏡男子代表でもある。
眼鏡以外およそ褒める所が見つからない男であったが、
私と知り合って、彼は大きく変貌した。
私との激しい修行の成果、今となっては
彼を初めて見る8割の人間が、彼を眼鏡と間違え、
残り2割は眼鏡と言いきる。
これは、彼の持ち味を最大限に生かす為に働きかけた成果であり、
その努力をもって、彼は大成した。
その姿は、まさに眼鏡の化身とと言えよう。
彼とは15年来の付き合いだが、そんな彼が、
朝からメガネのフレームを歪める勢いで目元が緩んでいた。
なんか、イラっとする。
よって、彼には王将おごってもらうことにしよう。
私は王将が好きだ。
高校生の頃から、決まってまとまったお金を手にした時は
王将に出向いて奢ったり奢られたりを繰り返していた。
眼鏡もそのメンバーの一味であった。
これは多くの方々が議論し続けてきたことであるが、
ソーハン(王将ではチャーハンの意)VS天津飯の争いは
未だ終焉の時を迎えていない。
「技を借りるぜ天津飯!」の掛け声と共に注文するのが
古来の習わしと勝手に決める程に、私は天津飯派である。
幼少の頃、母親に連れられ三木町の喜楽で食べたのを覚えている。
ふわふわの卵に、薄衣の様なあんが掛って、さぞ高級そうな装い。
レンゲを持つ手も震える味わいでした。
私は、ソーハン派の連中とはソリが合わない。
ソーハンが嫌いというわけでない、むしろ大好きだ。
しかし、天秤にかけろと言われたら。
どっちも食べたいと言う。
それでも選べと言われたら、涙をのんで天津飯と言うであろう。
そうやって、不毛な言い争いを十数年以上続けてきた。
いつしか、ソーハンVS天津飯の議論は
セットで付いてくるスープは要るか要らないかの話にすり替わってきた。
「あんなもん、お湯や!」と怒号が聞こえるなか、
「黄金スープではないか!」と擁護する声も上がる。
そんなこんなで王将は好きだ。
ダイエットなんて無視して、王将に行きたい。
はぁ。
一瞬で海の向こうに連れて行ってくれる夢の現代技術。
それがインターネット!グローバリゼーションの象徴!
これがあれば、世界中の情報を即座に知る事ができる
これはまさに、ある意味世界を手の中に収めたと言えよう。
とはいえ、私の薄志の薄学で培った語学力では、
ネットにおける7つの海を存分に股にかける事は到底できない。
このままでは、結局日本からは出れない一般的な中年会社員のままである。
しかし、今は違いまして。
ボタン一つで何処の言語も翻訳できる時代となりました。
しかし、さっそく翻訳してみたが、どうも日本語に翻訳すると、
イマイチな翻訳をする、いっそのこと英語に翻訳する方が、
まだ理解できたりもした、仕方なしに英訳してたどたどしく読み漁った。
そうやって、英語翻訳しまくってたワケですよ。
するとです。
「これは日本語のページです。
Googleツールバーを使用して翻訳しますか?
日本語ではないですか?」
って、日本語のページでバーがいちいち出てくる。
日本語でいいんだよぉぉぉぉぉぉぉぉ~~~っ!!
わしゃ、日本人じゃぁあ、ボケェッ!
と、言いたくなるのをぐっと抑え、
冷静かつ紳士的にバーを閉じるのであるが、
5日経っても無くならない。
これは、さすがに鬱陶しい。
梅雨の湿気も相まって、いっそう鬱陶しくなってきた。
何より、隣の席の同僚が、昨夜、よっぽどいい事があったらしく、
嬉しそうに呆けているのが鬱陶しい。
彼のトレードマークは眼鏡であり、私の周囲の眼鏡男子代表でもある。
眼鏡以外およそ褒める所が見つからない男であったが、
私と知り合って、彼は大きく変貌した。
私との激しい修行の成果、今となっては
彼を初めて見る8割の人間が、彼を眼鏡と間違え、
残り2割は眼鏡と言いきる。
これは、彼の持ち味を最大限に生かす為に働きかけた成果であり、
その努力をもって、彼は大成した。
その姿は、まさに眼鏡の化身とと言えよう。
彼とは15年来の付き合いだが、そんな彼が、
朝からメガネのフレームを歪める勢いで目元が緩んでいた。
なんか、イラっとする。
よって、彼には王将おごってもらうことにしよう。
私は王将が好きだ。
高校生の頃から、決まってまとまったお金を手にした時は
王将に出向いて奢ったり奢られたりを繰り返していた。
眼鏡もそのメンバーの一味であった。
これは多くの方々が議論し続けてきたことであるが、
ソーハン(王将ではチャーハンの意)VS天津飯の争いは
未だ終焉の時を迎えていない。
「技を借りるぜ天津飯!」の掛け声と共に注文するのが
古来の習わしと勝手に決める程に、私は天津飯派である。
幼少の頃、母親に連れられ三木町の喜楽で食べたのを覚えている。
ふわふわの卵に、薄衣の様なあんが掛って、さぞ高級そうな装い。
レンゲを持つ手も震える味わいでした。
私は、ソーハン派の連中とはソリが合わない。
ソーハンが嫌いというわけでない、むしろ大好きだ。
しかし、天秤にかけろと言われたら。
どっちも食べたいと言う。
それでも選べと言われたら、涙をのんで天津飯と言うであろう。
そうやって、不毛な言い争いを十数年以上続けてきた。
いつしか、ソーハンVS天津飯の議論は
セットで付いてくるスープは要るか要らないかの話にすり替わってきた。
「あんなもん、お湯や!」と怒号が聞こえるなか、
「黄金スープではないか!」と擁護する声も上がる。
そんなこんなで王将は好きだ。
ダイエットなんて無視して、王将に行きたい。
はぁ。
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